
日系人
昔むかし、自分が37歳の頃。
訳あって今までの営業の仕事を辞めて、何か変わった仕事が無いかとハローワークの門をたたきました。
中に入って最初に求人票をスッと抜いたそれが日系人の厚生管理をする会社のでした。
そのまま受付に求人票を出し、待っていると担当の方が面接はいつが良いかとの事でしたので「いつでも良いです」で、確か翌日に面接をして6月4日に入社となりました。
そこから派遣の仕事を始めたのですが、見るもの聞くもの全て新鮮で驚きの日々でした。
(おまけに煙草もそこから覚えました。今は吸ってませんが。)
日系人、いわゆる南米移民の方々の子孫。
とても勤勉で、仕事も日本人の1.5倍はするんじゃないかと思う位に優秀でした。
長野県の中部地方はその当時日系人が1万4千人ぐらい居ました。
やはり、日本人と外国人のハーフの人達なのでどこに行っても目立ちますしね。
でも、最近はあまり見かけなくなったと思います。
その人達が居ないのには訳が有ります。
2009年リーマンショックの影響で日本中で解雇が相次ぎました。
その解雇の最前線にいた人達が日系人です。
その当時、100人以上が働いていた会社でも全員対象で解雇でした。例外は一人もいません。
解雇の時の説明も自分と日系の担当者で行いましたが、話をしている最中も悲しくてこみ上げてくるものが有ったのを記憶しています。
その後はハローワークに失業給付を受けに行く者、帰国を前提に荷造をする者、色々ですが特に気になった事が有ります。
それは政府が一律お金を出して帰国してもらうと言う政策です。
その政策には尾ひれが付いていて、政府のお金で帰国するものは再入国が出来ないと言うものでした。
今はどうでしょう。
日本人とつながりの無い人々は研修制度といって入国が認められ、かたやつながりのある日系人は入国できないんですよね。
個人的には何処か矛盾している様な悔しい様な。
気の知れた仲間達が皆帰国してしまって、大多数は二度と会えないんでしょうね。
でも、一つ嬉しい事が最近有りました。
その当時一緒に派遣の担当をした仲間。
12年弱「同じ釜の飯を食った」旧友がフェイスブックで友達申請をしてくれたんですよ。
なんだかとっても嬉しくって。
地球の裏側に居る彼が自分を見つけてくれたなんて思うと・・・
いつかまたどこかで会って、あの頃の事、今とこれからを語り合いたい気分です。
今は新型コロナで移動も制限されていて、おいそれと南米からデカセギには来れない状況ですがいつか来れる日を願って。
ブラジル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ・・・
みんな待ってるよー。
「Dekaseki Nippon」
